40代無職借金独身男っていうヤバイ奴の株デイトレ書きなぐり日記

誤字脱字は当たり前。人生全般、身勝手な偏向で書きなぐる。

1/1、求める気持ちを放棄するしか術はなし。

新年が明けた。

今日は初日の出を見ることはしなかった。

最近、早起きの日が続いていため、毎日のように日の出を見てたのでもういい。

 

今日は寝正月を送っているが寝ては、

株を買って損している夢を見て起きて悶々とし。

起きては大損した事実を思い出して悶々とし。

電気コタツの電気の音だけがする静かな時の中で、

金曜の取引を思い返し、大損スイッチが入る前の1.7万の利益でやめておけばと想像す

ると、1日で薄利しか稼げない事実、これぽっちという気持ちに悶々とし。

 

あれ?、どの道をとっても悶々じゃないかと、

悶々から逃れられないであろうことに悶々として。

 

もし、資金が1千万あっても今の自分が変わらなければ、

先週の金曜日は200万ぐらい損したことだろう。

2千万なら、400万だ。

そう考えれば、悶々から脱出に必要なのは資金が多い少ないの問題じゃない。

 

恐らく想像の域でしかないが、

悶々からの脱出、逃避は無理だろうが悶々を和らげる方法が一つだけあり。

それは積み上げた実績や額を想うこと。

塵のような日々の利益でも、それを積み上げた結果、

利益が100万とか300万とか500万で資金の数倍、数十倍なら、

1日で稼ぐのは不可能だし、その金額が手元にあってコントロール下にあるという

事実に意識を向けるなら程度、自己満できそうだ。

ただ日々の利益は薄利だが。。。って愚痴はでてきて。

日々の利益に意識を向けるならまた悶々は変わりなく。

だから、それは多分一生変わらない。

 

資金が増えれば増える程、注文株数の約定は困難になる。

それはつまり、資金に見合った利益は取りづらくなるということであり。

薄利と感じる日々を送ることが現実的で妥当となり。

悶々とした気持と共に生きるしかないのである。

 

求める気持ちを弱設定にするか、可能であれば放棄するしか逃れる道はなし。

上手くいかない現実に、人は成熟し深みを増すというが、

これがその一つなんじゃなかろうか。

 

腹7、8分目が10分目。

 

そんな価値観、閾値の低さで生きたい。