1/1、求める気持ちを放棄するしか術はなし。
新年が明けた。
今日は初日の出を見ることはしなかった。
最近、早起きの日が続いていため、毎日のように日の出を見てたのでもういい。
今日は寝正月を送っているが寝ては、
株を買って損している夢を見て起きて悶々とし。
起きては大損した事実を思い出して悶々とし。
電気コタツの電気の音だけがする静かな時の中で、
金曜の取引を思い返し、大損スイッチが入る前の1.7万の利益でやめておけばと想像す
ると、1日で薄利しか稼げない事実、これぽっちという気持ちに悶々とし。
あれ?、どの道をとっても悶々じゃないかと、
悶々から逃れられないであろうことに悶々として。
もし、資金が1千万あっても今の自分が変わらなければ、
先週の金曜日は200万ぐらい損したことだろう。
2千万なら、400万だ。
そう考えれば、悶々から脱出に必要なのは資金が多い少ないの問題じゃない。
恐らく想像の域でしかないが、
悶々からの脱出、逃避は無理だろうが悶々を和らげる方法が一つだけあり。
それは積み上げた実績や額を想うこと。
塵のような日々の利益でも、それを積み上げた結果、
利益が100万とか300万とか500万で資金の数倍、数十倍なら、
1日で稼ぐのは不可能だし、その金額が手元にあってコントロール下にあるという
事実に意識を向けるなら程度、自己満できそうだ。
ただ日々の利益は薄利だが。。。って愚痴はでてきて。
日々の利益に意識を向けるならまた悶々は変わりなく。
だから、それは多分一生変わらない。
資金が増えれば増える程、注文株数の約定は困難になる。
それはつまり、資金に見合った利益は取りづらくなるということであり。
薄利と感じる日々を送ることが現実的で妥当となり。
悶々とした気持と共に生きるしかないのである。
求める気持ちを弱設定にするか、可能であれば放棄するしか逃れる道はなし。
上手くいかない現実に、人は成熟し深みを増すというが、
これがその一つなんじゃなかろうか。
腹7、8分目が10分目。
そんな価値観、閾値の低さで生きたい。