40代無職借金独身男っていうヤバイ奴の株デイトレ書きなぐり日記

誤字脱字は当たり前。人生全般、身勝手な偏向で書きなぐる。

12/27、心は大事にしてはいけない

今年もあとわずかで終わる。

今年だけに限らないが、個人的に印象深いのは有名人の死だ。

初老にもなると、自身の人生で多大に影響うけた人や若い頃にテレビを見れば高い

頻度で見てきた有名人、芸能人が亡くなるというのは、時代が終わる、世代が過ぎる

実感でとても切なくなる。

 

中でも印象深いのは直近の上島竜平。

たしか今年ではないが記憶に新しいとこで、竹内結子とか神田沙也加とか。

誰もが彼ら彼女の自死は理解しがたく受け入れ難かったのではないだろうか。

彼ら彼女の内に生きるのが困難な程の何があったのかは知らない。

 

ただ、それほどの人物の自死にたいする教訓として、

下衆を承知で本根で言うが、

俺なんかよりよっぽど恵まれているはずなのに何で?

それ程の人が死ぬほどに苦しむのだから、楽しく生きないとダメなんだ、

心が満足する生き方でないとダメなんだ。

って思ったんじゃないかなと。

 

かつて昔に自死した女優がいた。

何万、何十万のファンがいたのに、心に決めたたった一人の男性に愛されないから、

結ばれないからと。話的には美しいかもしれないが、心の融通の利かなさには驚いてい

しまう。

この女優にしろ上島竜平にしろ竹内結子にしろ神田沙也加にしろ、

協力や応援を求めれば即何人でも何でも集まりそうだ。

恋人が欲しいので募集しますなんて謳ったら何人でもくるだろうし、

お金が大変になりました援助、協力してくださいでも何人でも出資者が集まるだろう、

うつ病になりました助けてくださいだったら、クリニックが声をかけそうだ。

俺なんて・・・・助けを募っても、頑張って下さいのコメント一つあるかないか程度

・・・見栄を張りすぎた・・・コメントすらないだろう・・断言できる。

 

人生楽しくないとダメ、楽しいことして生きるという持論とその中身は、

要はこれなんだと思う。

実際何人かから頑張っても楽しくなけりゃ・・竹内結子さんだって・・・

って話を聞いたし。

 

心は楽しいことが好きである。

それゆえ、楽しく生きるとは、心を満足させる生き方ということで多分間違いない。

従って、心を満足させる生き方が正しいとするのは間違いだとオレは思う。

人生何があるか分からない、いつどうなるか分からないのが人生でもあるという点にお

いて、すべてを失ってしまった時や八方ふさがりになった時にどうする?

お金が欲しいという心を満足させるに仕事もあてもなかったらどうやって満足させる?

異性が欲しいという心を満足させるに誰も相手にさえしてくれなければどうする?

財布に一銭もなく食べ物が欲しいという心を満足させるにどうする?

銀行強盗や異性を拉致監禁、食べ物の窃盗等方法はあるが、

どれも理性で抑止し、それは理性と心の葛藤や戦いとなって苦しみ、

もしその苦しみが生きるに堪えられない程だったら?

それが自死になるのである。

 

結局のところ、心の欲求の追求がその道になるのであり、

楽しみを求め手に入ってる間や難易度が低い間は、楽しけりゃいい、

楽しく生きることが正解と思えてる、それで済んでるに過ぎない。

 

そもそも楽しいことが好き、悲しいことは嫌い等の心とは、

なぜそうなのか、と言えば感情=心と言える。

我々の人生は感情がないととても味気ない。

感情なき人生を想像すれば感情や心がどれだけ人生を彩ってることか。

料理で言えば、感情や心は調味料に例えられる。

野菜炒めも肉料理も鍋料理も調味料が断然に美味しくさせる。

 

心とは調味料。

逆に言えば、だからこそ調味料をメインにすることはない。

今日は味塩こしょうがあるから野菜炒めにするかとはならない。

〇〇が食べたい、美味しく食べたい、そのためにはどの調味料をどう使おうかとなるの

であって。

 

心を満足させる生き方、楽しく生きる、今が楽しけりゃいいという生き方は、

味塩こしょうに命令されるのと一緒だ。

「オレは野菜炒めで本領発揮するから今日は野菜炒めを食え」

と言わるのと同じである。

冗談じゃない。

 

何をいつどうするか、どんな生き方をするか、はオレが決める。

心が不平不満を言ってきても脇役の分際だ、どうってことはない。

心よ、おまえはただの調味料、オレのただの付属品、部品のようなもの。

ギャーギャーと喚いてきても、部品がなんか言ってるわ程度に軽くあしらう。

心のざわめき、訴えをそんな風に流したら、

心に苦しめられることや、苦しむことはない。

必要以上に大事にするから、かまうから、振り回されるのである。

 

因みに心と味塩こしょうどっちが実用的かと言えば、

断然、味塩こしょうだ。

よって、心は味塩こしょうにも劣る。

 

放っておくのが一番である。

 

こんなことを書いても多くの人には受け入れられないだろう。

それは承知している。

世俗は常識を鎧として多い、情緒を重んじ心をいたわるよう仕向けられている。

心の欲を無視すれば支配層の目論見はじめ世の中の経済はまわるまい。

 

ただ一つ疑問を投げかけたい。

民衆の大勢が信じるそれ、常識や情緒や心を重んじる価値観が本当に正解なら、

世の為、人の為、己が為に本当に正しいのなら、

どうして今の世はこんな有り様なのか?

 

して、その答えは何だ?

 

相場には、人の行く裏に道あり花の山、という格言がある。

人が大群となして銭を扱うようになってから、

大群である民衆は絶えず踊らされている歴史なのだ。