40代無職借金独身男っていうヤバイ奴の株デイトレ書きなぐり日記

誤字脱字は当たり前。人生全般、身勝手な偏向で書きなぐる。

12/3(土)挑戦するその源には・・

挑戦することをしていると、時折感じるものがあって。

それは挑戦そのものに意味があるっていう感じっていうか感触みたいな。

 

挑戦してる最中は無我夢中で気づけないんだけど。

一息ついた時や心落ち着けた時、ひと段落ついた時とか

無の時に不意に湧いてくる想い。

 

挑戦していれば事象に対してか己に対してか問わず、

必ず失敗は訪れ時と場合によって失望や絶望に至り心に痛みを伴う。

挑戦している本人にとっては、挑戦の最中に起きるそれや痛みは苦痛が故に

痛みや苦しみに意識をとられ尚のこと気づけないが。

 

無我夢中の感じが楽しい、失望や絶望が楽しい、中々叶わないことそれ自体が面白い、

それらを楽しんでいる魂の戯れや遊びを感じる時がある。

オレの表面意識では成功したいがために又は、成功を意図し、希望ある未来のために

挑戦しているが、意識の根底、本体は結果が成功しようがしまいがどっちでもいいよう

で。

 

たしかマザー・テレサがだと思うが、彼女もこんなことを言った。

神様は我々に成功することを望んではいない、ただ挑戦することを望んでいる。

 

世界で初めて月面着陸に臨んだアメリカのニールアームストロングもこう言った。

私たちが月に行くのは、困難に立ち向かうことが人間の本質であるからだと思う。

 

そんなことを想う度、いつも蘇る記憶があって。

オレには25年前に4歳の娘がいた。

4歳というと走れば転ぶ程に身体は安定してない。

その小さな4歳の娘を小学校の校庭のジャングルジムへ連れ行くと、

ジャングルジムの一ますが娘の背丈ほどもあるというのに、

短い腕と小さな手で上にある棒を掴んでは登り、また上の棒を掴んでは登っていた。

まるで黙々と挑戦でもしてるかの様なその姿に、

危ないからそれ以上は辞めなさいと声をかけれずに見ていたら、

とうとう頂点まで登って行ってしまって。

小学校のジャングルジムは保育園や幼稚園や家庭の遊具のジャングルジムもどきに

比べれば頂点は高い。

その頂点の高さは、娘の背丈の4倍ぐらいはあり見てる親もどうかと思う。。

実は見ているオレもハラハラドキドキだし、

男なら分かると思うが、玉ヒュンになりながら見ていたのである。

最後は登ったはいいが降りれないので、オレが降ろし無事何事もなかった。

 

 

何気に人はただただ挑戦したいだけなんだと思える。

そしてそれは何故か?

挑戦が楽しいという想いと同時に感じる思念。

それは・・・

何でも思い通りになるのはもう飽きた、

それは体験するだけしたしもう詰まらない、である。

 

表面意識では思い通りにならなくて心が痛み悩む苦しんでいるというのに。

不思議だねぇ。