40代無職借金独身男っていうヤバイ奴の株デイトレ書きなぐり日記

誤字脱字は当たり前。人生全般、身勝手な偏向で書きなぐる。

11/23(水)陰キャという素晴らしい在り方と生き方、マイウェイ

はじめに言っておくと、陰キャをこ馬鹿にしているのではない。

そもそもオレが陰キャだ。

 

マイウェイって曲がある。

オレは芸能に興味がないので、

この歌が海外の歌であること、

何故かは分からないが日本では男の歌手が自分の歌の様に歌う。

これくらいしか分からない。

 

今回ユーチューブで誰かは知らない女性の歌手らしき人が歌ってる動画を見つけたの

でついでに張ろうと思う。素晴らしいのだけはよく分かる。

 

youtu.be

因みに見つけてから数回見ているが、女性の歌が終わったら消している。

 

 

ところで、このマイウェイという曲は一見、希望やチャレンジ、羽ばたくって

陽的印象を受けるが、陽的でこんな歌ができるかな?とふと気になって、この歌につい

て調べてみた。するとウィキペディアによると、以下ウィキペディア引用。

 

テーマ

主人公の男性が、自分の死が近付く中、自分の人生で起こったすべての苦難に対して行ったことについて、後悔せず自信を持っている、と語る内容である。

 

とあって。

やっぱりそうかと思った。

ウィキペディアが作者の心中をどれだけ正確に言葉にできたかは不明だ。

恐らくこの2行では足りないし、その視点を得れていない者が言い表すには難儀に違い

ない。

 

 

さて、

近年では、陽キャ陰キャという分別、分化、差別ができ同時に

陽キャは良くて陰キャは良くないという判断思考、文化が出来上がっている。

それらのことや、今日のタイトルについて思いの丈を書き綴れば、

恐らく終わりなき感じになる量、本かよ?って感じになるので

出来るだけ要点だけで尺を短くまとめようと思う。

従って、理由は十分に書けないので決めつけ、偏向になりがちになることとだろうと思

う。

 

陽キャ陰キャっていうのが果たして本当にいるのかと言えば、恐らくいないだろう

が、現在はそのような文化なので存在する前提で書いていくけども。

 

まぁどちらにしても、陽キャなら陽キャ陰キャなら陰キャという性質において、

人生を歩む、営む過程で失望や悲しみ、絶望や憎しみ、幸せや充実は誰にも訪れ、

各々で陽期や陰期を行ったり来たりしているに過ぎず。

 

そして、人生で大事なことや指針、座右の銘が生まれるのは決まって陰の時である。

 

もっと細かく言えば、陰の時に過去を振り返り未来を想い生を人生として想った時、い

つかは絶対に起こる「死」を想い、この在って当たり前的、日々送って当たり前的な

人生が瞬時に刹那的であると知り、であるならと、大事なことは何かと気づくのであ

る。

 

この思考プロセスは陽期の時には訪れずらい。

陽キャの陽期なら尚の事難しい。

陽キャを良しとする要因について考えてみれば分かるが、

全て自身とは別な外にあるものが充実する豊富にある、そんなことだけだ。

はっきり言えば、心の欲望に促されたもので心に手綱を握られてるに過ぎない。

 

陰の静的なる思考、想い、見つめる、洞察を持って、

やがてくる「死」を想いすれば、

それにどれだけの価値があるのか、夢中になる程のものではないことを知れる。

 

アップルの共同創業者の一人、

スティーブ・ジョブズもこのようなことを言ったそうだ。

 

自分はいつか死ぬ、ということを思い出すことは

失うものなど何もないということを気づかせてくれる最善の方法だ。と。

 

想いふけって見て欲しい。

今吸って吐いている息が、吸った後そこで止まることを。

死ぬとはそれのことだ。

 

死ぬその時に何かを失うだろうか?

何かを払うだろうか?

何かを奪われるだろうか?

脳では分からない。

頭で考えればせめて身体は失うなぁと考えるだろう。

でもその時その頭は脳は頼りにならない。

オレは湯舟につかりながら、想いふけったりする。

リラックスしてるのかよく体感できる。

失うものなんて何もないってことを。

 

そして

失うものは何もないっていうことは別の言い方もできて。

得たものなど何もないということだ。

 

陽キャを否定するわけじゃない。

誰にも陽期があるように、一時だれでも陽キャになるのだから。オレもね。

だけど心の欲望に促され、金や異性、車や家、名声や地位、それらを

手に入れようと躍起になり、手に入れたと思えても実際は、

手にいれてなんていないんだよね。

その気になってるだけで、勘違いしてるだけで。

 

陰キャ性質の素晴らしいところは、

陽期が短く、陰期が長いことだ。

陰期が長いということは、大事なことを感じ想い続けられるということだ。

そしてそれに沿って生きることをしがちになれるということである。

 

もしそうでないと言うのなら、

世俗の情報に呑まれ、陰キャ部分を否定し陽キャになろうと努めているため、

静的な力を無碍にしてるか、死について考えたり想ったりな死を受け入れてないかと言

えるだろう。

因みに陰キャだから暗いとかそういうのは、この段階の人に当てはまるものである。

 

 

死について想い考え、失うものなど何もない、心配などなにもない、生は刹那と知っ

陰キャは、愛を想い、感謝を想い、ユーモアあってリラックスしていてそれでいて静

かである。

 

 

死、やがて終わる自身の人生を想えば

その人生に登場し関与してくれた両親、兄弟、子、友人、知人、ペット達や環境を豊か

にしてくれたお金や物、運命宿命含むすべての事象に敬意と感謝せずにはいられなくな

る。

 

「死」について考え受け入れる、そうできやすいのは陰キャならではである。

 

陰キャって素晴らしいと思うよ。