40代無職借金独身男っていうヤバイ奴の株デイトレ書きなぐり日記

誤字脱字は当たり前。人生全般、身勝手な偏向で書きなぐる。

11/20(日)初老は想う。あなたは輝ける。輝くという事と輝き方。

もし輝くということが、人から世間から注目や高評価、いいね!をもらうことで、

輝き方が、他人や社会に対して活躍、活動することなら、

どこの誰に生まれたか、という時点ですでに輝ける人間か否かは程度決定してしまう。

輝けないということはないにしても、輝ぐという光度に違いがでてしまう。

日本のド田舎で何もないとこに生まれ育った者と

政治家の子として生まれ育った者では、後々の注目や活躍具合は雲泥の差になろう。

 

中国の山奥に生まれた子、

海外のスラム街に生まれた子、

アマゾンの小さな部族に生まれた子、

近年では少しばかりニュースになった、部族的なとこで生まれ後に両親がなくなり

ずっと森で一人孤独に生きて死んだ男性がいたが、

それらの人は先天的、不可避な条件だけで輝けない人、

むしろ輝いてはいけない人となってしまう。

 

こんな不公平ってありかな?

 

輝くということ自体、そんな発想が生まれるには

生や死、人生と言う概念だったり

意識、精神、魂という概念だったり

宿命、運命、神様という概念だったりな土台があることで想う事だと思うけど。

 

神様がいるならそんなことするかな?

 

答えは簡単。しないよ。

 

存在的に優越、不平等なんてもしもあるなら、

最初から不利な生なら、そもそも生まれることを望まない。

そんな生も描かないし。

輝ける生を棒にして、そんな生を生きることにどれだけの意味もない。

 

オレには昔、水頭症の子を授かったことがある。

長生きはできなかったよ。

あの子はどれだけも活躍してないし、

水頭症ってことで医者や看護師からは若干の注目は浴びたろうが、

そんな注目と人が輝くはどう考えても違う。

 

だから、輝くってことや輝き方って一体何なのか。

言い方変えるなら、花のように咲く、咲き誇るとは何なのか。

ついでに、人生を謳歌するということ、輝きを示す杖について初老が語ろう。

 

難しくはないよ。

誰もが一度や二度または、いつも思い身近にある考えのそれだ。

一人も想ったことがない程に単純なそれ。

難しいなら出来る人と出来ない人がでてしまう。

それでは先天的、条件的不可避な不平等と変わらない。

神さまはちゃんと、平等に誰もが想える様にそして出来る様に図れる様に作ったよ。

 

それはね。

輝くということは、昨日よりもマシな今日を送ること。

輝き方は、昨日よりもマシな今日にすること。

輝きの杖は、こうすれば以前より今よりはマシになるだろって考え、思考、アイディア、発想。

 

思考やアイディアはあなたという花に沿って生まれる。

バラならバラらしい発想で、ひまわりならひまわりらしい発想が。

他人の誰かやその行為を参考にしても構わない。

あんな人になりたい、こんなことしたい。という興味、好感が既にあなたらしさだ。

現にそれをやり始めれば、幾つもの分かれ道と判断、決断があり。

結局あなたはあなたはあなたらしい道を歩んでる。

 

昨日よりもマシな今日、今日よりもマシな明日、以前よりはマシなら良い

っていう基準価値、閾値を持つこと。

それが輝くこと。その活動は輝き。そのように思考する思考自体が杖だ。

 

森で一人孤独に生きて死んだ男性は最後穴を掘って家のようなとこで死んでいた。

 

危険で物騒な境界なき屋外で身体を休めるよりも、

肉食動物に見つかりづらい穴の中の方がマシだっていう考え、アイディアだと思える。

 

彼のそれは間違いなく、彼なりに人智尽くし生を謳歌した証しだろう。

彼は彼らしく輝いた。

そして誰もが平等に輝ける。